中野区議会議員
後藤英之
中野区議会議員
1971年8月10日/大分県生まれ/O型/しし座/猪年
▼ 亜細亜大学法学部法律学科卒業・雄弁会会長。
他大学の学生も交えて政治や経済について語り、議員事務所ではスタッフとして活動。
▼ 新卒で政府系経営教育機関研究員に。
ドラッカーの経営理論を基に企業や行政の組織人事制度改革を促進。マーケティング戦略等の企業戦略を立案。
▼ IT系ベンチャー企業に転職。ガバメントチーム長。
自治体を中心にITを使った情報改革を支援。また、仲間たちとともに会社の店頭公開を目指し、とにかく働く。店頭公開を目前にして退職。
▼ アクション株式会社を設立。代表取締役現職。
企業の経営、人事、事業開発、マーケティング、IT等に関する戦略の立案・改革・改善を1,000件以上にわたり実現。
▼ 株式会社グラモを設立。創業時取締役。
他、ITコンサルティング会社顧問、地域活性化NPO法人設立メンバー等。
▼ 2011年中野区議会議員 初当選(旧みんなの党)。
▼ 社団法人産業カウンセラー協会認定
産業カウンセラー
こころに問題を抱える方々の心のケアを支援しています。
▼社団法人産業カウンセラー協会認定 キャリア・コンサルタント
就職・転職支援や、個人のキャリア・アップを支援しています。
【趣味】読書、音楽鑑賞、神社巡り、自然散策
【ペット】猫のルパン、川魚たち
元気いっぱい!とは言い難い内気で大人しい幼少期。
皆と遊ぶのが苦手で、いつも一人で本を読んでいました。
子供らしくないと心配がられていました。
心機一転、活発な小学生に。
学級委員長で、サッカー部、剣道部で汗を流しました。
成績が良く、得意な科目は国語と算数と理科と社会。
チャンバラの道具をたくさん作り出し、友人にばらまいては大チャンバラ大会を連日繰り広げていました。
中・高一貫男子校に入学。
周囲が皆秀才に見えたため、危機感を抱き、勉学に没頭。
高校までの必須科目を中学2年時に終了し、全国2位の成績に。
先生からは大変ほめられましたが、両親からは、逆にここでも心配がられました。
中学生時点で高校までの勉強を終えた安心感からか、一切勉強はしなくなりました。
政治・経済・哲学に大変興味を持ち、「全国社会問題研究会OASIS」を結成。
新聞、雑誌、ミニFM等を使い全国に社会的な問題意識を発信し始めました。
同時に全国の老若男女問わず様々な方々からメッセージを受け取りました。
当時特に影響を受けたのは、当時の国際関係と、大前研一氏の「平成維新」等。
また、過度な学歴社会に対する反発が強かった時期でした。
同時に、大分中央レオクラブ会長として地域ボランティアを実践。
高校生時代は、自らの意志で社会にメッセージを本格的に発信した時代であり、現在の自分の原点とも言えます。
二浪した後、亜細亜大学に入学。
法学部でしたが、法律の勉強よりも、政治活動と部活動に没頭。
政治活動は当時日本新党の立ち上げにスタッフとして参画。
他、都議会議員候補予定者や色々な代議士の事務局スタッフとして政治活動の基礎を学びました。
部活動は雄弁会に所属。会長として2名だった組織を50名程に拡大。
大学横断的な弁論部の連合会である全関東学生雄弁連盟に所属。
様々な大学の学生と弁論やディベートで切磋琢磨しました。
当時の仲間達が今日、国会議員や地方議員として多数活躍しています。
新卒で政府系の社団法人に入職。
ドラッカーの経営理論をはじめとした企業経営の研究と提案を行いました。
大企業、行政を対象として人事制度やマーケティング、事業革新等に関する
経営教育(コンサルティングや研修)を行いました。
私は主にマーケティング・マネジメントを担当しました。
その後、後藤総合研究所を設立。
ビジネスコンサルタントとして個人事業を始めました。
主に中小企業の新規事業立ち上げの支援を行いました。
その後、IT系の中堅ベンチャー企業に転職。
ITコンサルタント兼企画営業として大企業を中心にITソリューションの提案を行いました。
現職のアクション株式会社を立ち上げ、代表取締役に就任。
自営業の方々や小企業を会員化、力を集結する事で各種ビジネスコンサルティングや、IT関連の事業全般を手がけています。大手企業を中心として取引先200社程度。自営業者登録会員200人程度。取扱案件数1000以上になりました。
また、2011年、スマートフォン関連のIT会社株式会社グラモを立ち上げ取締役に就任しました。
他、ITコンサルティング会社株式会社ズノウの顧問を務めています。
地域活性化を行うNPO法人の立ち上げにも参画しました。
誰もが感じている未来への不安を私も強く感じています。
この未来への不安を取り除いていくのと同時に、新しく明るい未来へ向けた準備に今、着手していきたい。
私は、中学・高校・大学を通じ、様々な仲間と社会に対する願いや苦しみを毎日語り合ってきた経験があります。
そんな環境で、世の中の不条理や不正義を解決したいという思いが昔からありました。
事業において、経済的な幸福をたくさん作ろうと努力してきましたが、他の社会問題も含め、総合的、公的な立場で社会改革を起こしたいと考えています。
中野区の予算は1,000億円規模ありますので、一つ一つの事業にきちんと向き合っていけば色々な変化が起こせる、明るい未来が見えてくると確信しています。
特に「自立」という事について、私の家庭環境による影響が大きいです。
父は基本的に小規模の資産家であり、主に不労所得で生きてきた人ですが、逆に母は貧しい家庭に産まれ、様々な苦難を乗り越えて結婚した後も、父の優雅な生活の陰でヤクルトの配達等のアルバイトをかけ持ちしていかなければ食べていけない生活をおくっていました。
私は幼い頃いつもそのヤクルトの配達に同行し、父と母の生活の違いに疑問を抱いていた気がします。
ところが、徐々に母は転職とキャリアアップを実現し始め、気がつくと美容関連で起業していました。
そして現在は美容全般に関わる商売を多角展開し、父よりも裕福で活き活きとした生活をおくっています。
そんな父も、母も、現在癌を患い、その治療を継続しています。
ここで私がつくづく思うのは、父は死ぬ事を非常に恐れていて、これは当然の事と思います。
しかし母は死を恐れていないように見えます。
母には、日々生きている爽快感と充実感が満ちていて、死を恐れるよりもより一層、生きている事を楽しんでいるように見えるのです。
そうした父と母を見ていて、実感してきたのは、人間にとっての究極の満足とは自己実現であり、自己実現には主体的で自立した精神と、挑戦・行動し続けていく事が重要であり、逆に行動しない人生は、それが例え資産によって可能であっても、貧しい故であっても、寂しい結果に終わるという事です。
だから私は、生活保護の不正受給はもちろん、働かない、もしくは主体的に行動を起こさない事に対しては非常に残念で、もったいないと感じます。
人は、活き活きと活動してこそ楽しいんだと思い、人が「自立」的に生きていける社会を目指しています。
とは言え、病気や障害、介護、特にカウンセラーの立場からは、精神疾患にある人達は動きたくても動けない状況を作り出されてしまっている悲惨な状況にあり、手厚いケアが必要であることは言うまでもありませんし、年齢の問題、お金の問題、待機児童の問題、景気の問題等々やる気があっても、できない事情がある場合もたくさん世の中にはあると思いますので、そういう人達にはなおさら、政治や行政は、力強いサポートの手を差し伸べるべきだとも考えています。
アクションを起こせる人にはその後押しを。本当に困っている人達には、最後の砦としての行政サポートが絶対に必要不可欠です。これが私の「共生」の理念です。
上記は私の家庭的な事情の一部を引用していますので誰にでも当てはまる、とは思っていませんがただ、私は、自らの原点における実体験から「自立」し、「共生」する中にこそ自己実現と真の助けあいの世界が待っていると考えており、私はこの二つの理念を基調にした社会を創っていきたいと考えています。